2023年12月5日
「やりきった感じです。悔いはありません。」
現役引退するサイクランド タナカの田中さんにお話を伺いしました
インタビュー 2023年11月30日 サイクランドタナカにて
地元の自転車屋さんとして皆様に親しまれてきたサイクランド タナカですが、いつもお店に出て接客と修理をこなしていた代表の田中直利さんと弟の喜代治さんが現場を退くことになりました。
お店はそのまま残り、他の方が引き継ぐとのことですが、お二人の現役引退を惜しむ声は強く、11月30日の最終日には、惜しむ方たちの来店が続いていました。
最終日の11月30日、代表の田中直利さんに、現在の心境などをお聞きしました。
—-創業はいつになりますか。
田中:1948年(昭和23年)です。創業者の父が現在のイオンの裏に小さな自転車屋さんを開業したのが最初で、現在の場所に移転したのが1985年(昭和60年)です。ですので、創業してから75年、現在の場所に移ってからも38年が経ったということになりますね。
—-長いですね。この長い歴史の中でいろいろ変遷があったかと思いますが、一番大きな出来事はなんだったんでしょうか。
田中:いろいろありましたね。町乗りの自転車からマウンテンバイクのブームが来て、そしてロードバイクやツーリングバイクのブーム時代が来るなど、いろいろお客さんの層も変化がありました。
でも何と言っても一番大きな変化は電動アシスト自転車の登場ですね。電動アシスト自転車を扱うのも初めてでしたので、まず技術の勉強から始めました。うちはブリジストンサイクルの専門店なのでBS製品を販売しているんですが、電動アシスト自転車は、従来の自転車メーカーに加えて、パナソニックなど電機メーカーの参入がありましたから、私たちも勉強することがいっぱいありました。
—-当初は修理がたいへだったんでしょうね。
田中:そうですね、うちは、依頼があれば、修理もきちんとやりますからね。それがうちの特徴にもなっていますから。でも電動アシストの技術的なことは、すぐ習得できて、なにか修理に支障をきたすことはなかったです。
修理をしないで自転車を売るだけという店もありますからね。そういう店のお客さんは、修理が必要な時には皆うちにくるんですね。結構遠くから修理にやってくるお客さんもいたんですよ。
—-御商売に対するなにかコンセプトがおありのようですね。
田中:そうですね。お客さんには、「安く・早く・信頼を届ける」ということをモットーとしてやってきました。私自身は経営者というよりも技術者的な性格ですので、お客さんに喜んでいただけるのが一番嬉しいですね。
—-まだまだお元気そうですけれど、引退を決めた理由はなんでしょうか。
田中:もう私もサラリーマンだったら、とっくに定年超えた年齢になりましたし、弟も腰など体のあちこちにガタがきていますので、以前からいつやめるかとは2人で考えていたんです。
それを具体的に考えるようになったのがブリジストン自転車へのリコール騒動です。うちは製品への信頼もあってブリジストンの専門店になったのですが、その製品自身の信頼性を根本的に損なうようなトラブルが続き、うちもその修理や発送などで2年ほどめちゃくちゃ忙しい時期を過ごしたんです。
そのリコール騒動も目処がついたところで、具体的に店をやめることを考えるようになったのですが、そこへ、自転車店をやっている知り合いから、店をそのまま引き受けてもよいという話がきて、ちょっと急な展開になってしまいましたが、その話に乗ることにしたんです。
—-そうですか、お客さんが来てくださるのは、お2人のお人柄によるところが大きかったと思いますが、惜しむ人も多かったんじゃないですか。
田中:そうなんです。何人かのお得意さんが聞きつけけ来店され、中には涙を流してくれる方もいて、こっちが思わずもらい泣きしてしまいました。そういう方たちにはほんとに感謝ですね。うちはそういう方たちに支えられてここまで来られたと思っていますので。
—-ここでお2人の働いている姿が見られなくなるのはほんとに寂しいですね。
田中:ありがとうございます。皆様からそんなお話をいただくと、ちょっと寂しい気はしますが、私自身は「やりきった」という感じです。悔いはありません。
—-そのお言葉を聞くことができてほんとに嬉しいです。どうもお疲れ様でした。
(インタビュー:小野里)
*なお、経営者は変わりますが、自転車店はそのまま同じ場所で継続されます。
田中さんも自転車店の二階に住んでいらっしゃいますので、宇喜田十八軒の住民であることには変わりなく、いつでもお会いすることができます。